これまでの歩み

フェミニストカウンセリングとは

フェミニストカウンセラー資格

スーパーバイザー派遣事業

フェミニストカウンセリング・
アドヴォケイター資格

女性への暴力をなくそう

セクハラQ&A

ぱたぱた日記

書籍のご案内

活動グループ

 

 

 

ぱたぱた日記

 

 

search this site.

2018年12月1日のぱたぱた

0

    気がつくと日が落ちています、夜が長い季節になりました。

    12月は、母が亡くなった月です。母の病室から見た黄色い銀杏の木は、忘れ

    ることができないものの一つです。今年も、少し離れた公園でベンチに座り、

    黄色く色づいた銀杏の葉が舞い落ちる様子を見ています。

     巷では、終活という言葉をよく耳にしますが、少し気になりどのようなこ

    とか、調べてみました。終活(しゅうかつ)とは「人生の終わりのための活

    動」の略。人間が自らの死を意識して、人生の最期を迎えるに当たって執る

    様々な準備や、そこに向けた人生の総括を意味する言葉であるとありました。

    生きることは、全ての人が自らの死に向かって歩いていることです。しかし

    年齢、心身の状態によって、その感じ方はやはり異なってくることでしょう。

    母が亡くなるまでは、終活という言葉も自分のこととは受け止めてはいませ

    んでした。しかしふと気が付くと、資料の入ったカバンが重い!歩いている

    と靴が窮屈に感じる!洋服は緩いほうが楽!などを感じるようになってから

    は、自分もその時期に入った!?

    そう思いながら身の回りを見渡すと、部屋は本と資料の紙でいっぱい。着

    なくなった洋服、履かない靴・・どうしたものか。

    まず資料の片づけからと動きはじめました。手に取り、読んでいると、気

    がつくと時間が過ぎています。FCに出会った頃の資料は古く色あせていま

    す。でもそこには一生懸命、苦しみながら(今でも同じですが)何かを探し

    ている自分がいっぱい詰まっています。そしてその内容は、FCの原点では

    ないかと思われるものが沢山ありました。

    新しいことを学び、変化についていくことも大切なことではありますが、

    今までのものをもう一度見直していく作業も必要ではないかと感じました。

     何を整理し、何を残すか・・自分の抱える力にも限界を感じています。少

    しずつ整理し、まとめていく作業の始まりだと感じます。

     でも・・片づけなければ・・・・

     

    *「ぱたぱた日記」は理事が持ち回りで執筆しています。

    2018年11月15日のぱたぱた

    0

      個人的な話になりますが、私は、おそらく物心ついたころから、「女は損だ」

      と思い続けながら生きてきたように思います。そして、男への羨望と憎しみ

      を同居させながら、「女ということで傷つけられたくない」「どうすれば男と

      対等に扱われるか」を、ああでもない、こうでもないとやってみては、結果

      痛い目に合うということを繰り返してきたように思います。世のなかの「成

      功哲学」に乗り切れない、ややこしい自分の扱いにおそらく困っていた私は、

      心理学やカウンセリングに関心を抱くようになりました。その後、男性のカ

      ウンセラーに師事した私は、次第に彼の解釈に違和感を抱きはじめ、ついに

      は耐えきれず思い切って意見したところ徹底的に叩かれ、結局、そこでの居

      場所を失い離れることになりました。同じころに「フェミニストカウンセリ

      ングという女性のためのカウンセリングがある」ということを知りました。

      それはどんなカウンセリングで一体どこで学べるのかなどの情報が得られな

      い中、いつかは学びたいと思っていました。まだフェミニズムにも出会って

      いなかった私が「女性のための」という言葉だけで、これまで自分の中で持

      ち続けてきた「うまく言葉にできない何か」の正体を明らかにすることがで

      きるのではないかという期待と予感があったのだと思います。

       まさに「塞翁が馬」、「棚から牡丹餅」で、いろんな経緯があって、私はフ

      ェミカンに出会うことができました。漠然と、「人と関わる仕事がしたい。女

      性のためになる仕事がしたい」と思ってきたのですが、今や女性支援の仕事

      に関わって18年目になります。興味関心が移りやすく根気がないと言われ

      てきた私が、これほど長く続いたことはこれまでありませんでした。

      自分の望みはかなっています。しかし、時には思うようにならない現実に

      思わず「なんでこんなしんどいことを仕事にしているんだろう…」と仲間と

      弱音を吐くこともあります。落ち込んだ気持ちの底から這いあがってくると

      きに、心に湧き上がってくるのは、先を行く女性たちの言葉の数々。こんな

      思いをみんなもしてきたのだろうかと、何度もその言葉の意味を咀嚼し、噛

      みしめながら自分に言い聞かす。そんなことを何度か繰り返してきました。

      講座に参加することで、助けられてきたことは大きい。フェミカンの講座

      には、ほかでは得られない醍醐味がありました。それぞれ様々な苦難や困難

      を乗り越えてこられたのだろう講師が、背筋を伸ばし、発する言葉に、「この

      人が見てきたものは、経験してきたものは何なのだろう。それはどういうこ

      とを意味するのか」等々、興味関心が沸き起こってきます。数々の学びと共

      に、新たな宿題をもらって帰ってくる。現場に戻って、その宿題の答えを探

      していく。それを繰り返してきた結果、ここまで来られたのかもしれないと

      思います。今も、場面場面で、あの言葉の意味は何なのかと考えています。

      経験を重ねるとともに、その言葉が意味するところの深さに触れ、ここまで

      続けてこられたのかもしれないなと、近頃つくづく思います。

      今回みなさんのところに、ニュースと共に何枚もの教育訓練の案内が同封

      されてきたことと思います。フェミカンの講座の「学び+α」に触れていた

      だきたいと思います。その場でしか味わえないライブの醍醐味。フェミカン

      でだからこそ語られる言葉の数々。ぜひ、講座の中で体験し、一人ひとりが

      得た「学び+α」を世代を超えて仲間とともに語り合う醍醐味を、ぜひ経験

      していただきたいと思います。

       

      *「ぱたぱた日記」は理事が持ち回りで執筆しています。

      2018年11月1日のぱたぱた

      0

        広島出身の私は、今、日本シリーズのカープ対ソフトバンクに夢中です。野

        球を観るのは小さい時から大好きです。しかし、文句をつけたくなることが

        あります。それは解説者が時折キャッチャーのことを「女房役」と呼ぶこと

        です。なぜわざわざ「女房役」と呼ぶ必要があるのか?キャッチャーの選手

        はこの呼び名にどんな気がするのかな?因みにピッチャーは何になるんでし

        ょう?

        もやもやしたものを放置していたのですが、先日、仕事でうかがった女性セ

        ンターである冊子をいただきました。朝霞市女性センターそれいゆプラザが

        作成した『表現ガイド』というものです。そこにとてもタイムリーな記載が

        ありました!「何気なく使っている言葉には、男性を中心としてきた社会の

        仕組みや性別役割分業意識を反映しているものがあります」として、表現例

        が挙げてありました。すなわち「見直したい表現=内助の功・女房役」「望ま

        しい表現=協力・補佐役」「見直し理由=男性が主で女性を従ととらえ、女性

        が補助的な役割といったイメージを形成するため」。やっぱりそうだよね、と

        膝を打ちました。

        ポリティカル・コレクトネス。『政治的に正しいおとぎ話』を読んで目から鱗

        だったのが、約20年前の自分でした。しかし、こういった種類のリストに

        今も教えられます。差別的な言葉がまだまだメディアや日常生活で使われ続

        けていることに慣れてしまっている自分に気がつきました。特に言葉を大切

        に紡ぐカウンセラーの自分にとってポリコレは大事だと改めて思ったのでし

        た。

         

        *「ぱたぱた日記」は理事が持ち回りで執筆しています。

        | 1/29PAGES | >>